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チョコレートの歴史 バレンタインチョコ

チョコレートの原料となるカカオ豆がなるカカオの木の学名はTheobroma=cacao(テオブロマ・カカオ)。テオブロマとはギリシア語で神の食べ物という意味です。

チョコレートは、少なくともすでに5世紀ごろにはマヤなどで、ドリンクとして飲まれていたようです。古代より中央アメリカのインディオたちは神への捧げ物として人間の心臓を捧げてその血を飲んだりしていました。カカオの実は人間の心臓に似ていたので、そこから作った飲み物は、そのかわりのものとみなされていたとも考えられています。

最初の頃、チョコレートは、カカオをすりつぶしてどろどろにしたものに、唐辛子やトウモロコシなどを混ぜた甘くないスパイシーな味付けで飲まれていました。ただし飲めたのは王侯や貴族などの高貴な人しか飲めない、たいへん貴重なものでした。そもそもカカオ豆自体が、お金として使われ、カカオ豆100個で奴隷が買えるほどの価値のあるものだったのです。

人々はカカオを摂取するうちに、なぜか元気になったりすることに気づき、やがて栄養剤や精力剤として飲まれるようになりました。16世紀にメキシコに遠征したスペインのコルテス将軍は、当時アステカ族が、 チョコレート(カカオ)と薬草を混ぜ合わせることで、不老長寿、疲労回復だけでなく、食欲不振、解熱、毒消しなどさまざまな病気の治療に使うことに目をつけ、スペイン国王カルロス一世に献上しました。

やがてスペインが中央アメリカを征服すると、スペインにカカオが入ってくるようになりました。スペインで、チョコレートは砂糖やバニラを足した甘い飲み物となり、人々の間に広まっていきました。けれど、まだまだ高価なものだったので、裕福な人しか飲むことはできませんでした。またスペイン王室は、チョコレートのレシピを国外に広めないようにしていたため、しばらくは、チョコレートは、スペイン国内だけで飲まれていました。

しかし、1615年スペイン王女アンヌが、フランスのルイ13世と結婚したとき、チョコレートを持参したので、チョコレートがフランスにつたわりました。さらに1661年、スペイン王女マリー・テレーズ(マリア・テレサ)が、ルイ14世と結婚し、チョコレート道具一式と、チョコレート専門のコック(後にいうショコラティエ)を連れて嫁入りしたため、フランスの上流階級からチョコレートが広まっていきました。

17世紀になると、ヨーロッパ各地にチョコレートが広まっていき、また、だんだん庶民も飲めるようになっていきます。

1828年、オランダのバン・ホーテンは、カカオからココアバターの一部取り除く技術で特許をとり、粉状のココアパウダーを発明しました。これによりチョコレートがお湯に溶けるように改良され、今のようなダークなチョコレート色と飲みやすいココアができました。

この粉末ココアができたことにより、1847年イギリス人のジョセフ・フライはココアに砂糖とココアバターを加えて固形のチョコレートバーを発明しました。

さらに1876年、スイス人のダニエル・ピーターはヘンリ・ネスレと協力し、ネスレの開発した粉末にしたミルクを使って、ミルクチョコレートを発明しました。苦かったチョコレートも、甘くクリーミーな美味しいものに変わっていきました。

しかしまだ当時のチョコレートは今のものと比べると、口当たりがざらざらしていました。1879年、スイスのロドルフ・リンツが、チョコレートを数日かけて混ぜ合わせると、口当たりがなめらかに変わることを発見。いわゆる「コンチング」として知られる製造工程をする機械を発明しました。これにより、現在のようななめらかなチョコレートを作ることができるようになったのです。

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